地産地消Projectメンバーに入ったキッカケを投げかけました。各自の思いや考えにハッとさせられるものばかりです。
*プライバシーを考慮し、名前は伏せて、イニシャルにさせていただきます。ご了承下さい。
Ku:はじめは地産地消とは何かよくわからなかった。ルクシニともう一人とオックスファムというNGOのプログラムに参加して、そこで一年間大学でなにらかのアクション起こすことになってた。オックスファムも理念として地産地消を掲げていた。もう一人の子がICUで地産地消のメニュー販売をできたらいいと提案して、がっきの田中さんに聞いたら、すでに根岸さんの野菜を納品していた。そして、私が根岸さんとたまたま話す機会があって、是非やってみましょうとなって、プロジェクトが始まった。はじめは本当に地産地消が良いのか分からなかったけど、やっていくうちに学内の人や農家さんが「いいですね」と言ってくれて、これからも進めていこうかなと。知っている方の作った野菜を食べるとすごく満たされた感じになって、活動をやっていく中でも心地よく楽しく続けてこられた。始めたきっかけはこんな感じです。
R:私もオックスファムをきっかけに地産地消を始めたけど、三鷹に住んでいてもまったく地域とつながっていないと思って。スーパに行っても買うものは国産じゃなかったり、国産でも違う県のもので、まったくなんで三鷹市があるのか意味が分からなかった。それは問題だなと思って、地産地消に接してみようとなったのがきっかけ。くみがたまたま学食の田中さんに声かけて始まったことがこんなに深くなって嬉しいし、このプロジェクトを通して色々なことを学んだ。すこく知識があって始めたわけではなく、これを通してなにかを得たって感じ。
Y:もともと、地産地消に関心はなかったけど、平和のことを考えるようになって.....私も発想が大きいところから地産地消に入った感じで、移民問題とか核兵器とか..自分が絶対悪と考えているものの根元は何だろうと考えたら...自分もブラジル産のコーヒーとか大規模プランテーションで作られているものを普通に食べていることなんじゃないかなと思った。平和について考えているのに誰かの搾取の上に成り立っているものを食べているのって意味分からないなと..。あとは、Immigrationの問題とか、自分がいいなとか住みたいなと思う、理想なところに行くことで、逆にバランスが悪くなるかもしれないから、自分が生まれた場所とか住んでいる場所に住む方が一番いいと思って、地産地消に関心もつようになった。最初は三鷹の野菜を買おうとしたけど、なかなか見つからないし。だから、学内で野菜販売をやりたいと思ってて、その時に地産地消プロジェクトに出会えて、「やってるじゃん!」と思って、入った。
Ka:私は最初は全然何も考えてなかったし、そもそも大学入って食品系の買い物とか始めたんで…。ブラジル肉みたいなのを最初安いって理由で買ってて、でも親にブラジル肉安いけどいいのって聞いたら、一回冷凍とかされているから新鮮じゃないみたいな話をされて一応国産のものを買ってた。でもそれはただ単に新鮮じゃないから、健康のために新鮮なものを買おうって感じだったんですけど、授業を聞いて、最初工業化とか良いと思ってたものが実は裏にはすごい搾取構造が隠れてたり、自分が見えないところで搾取側に関わっていたことにもびっくりしたし、農業とか自分にちょっと遠いものだと思ってたけど、こんな都市の中のような近いところにも農業をやっている人がいる、それだったらサポートできるところでやってきたいなっていうのがあって、できるだけ近いところでやってた方が環境にだって良いし、自分の健康にだっていいし、自分の周りの生活を大事にすることにも繋がるのかなと思って、だからまだ実際ICUの近くの農家さんがどこにいるのかも分かっていない状態だけど、関わっていけたらいいなと思って地産地消に入りました。
N:地産地消プロジェクトには1年生の冬に参加しました。一人暮らしを始めたのをきっかけに食べ物を自分で選択する機会が増え、食が自分の命に深く関わっていると意識するようになりました。自分の体に入るものがどこから来ているんだろうとか、誰が作っているのだろうという背景にすごく興味を持つようになって。思えば地元にいた時、親の知り合いの農家さんから毎週野菜を購入していたり、祖父の畑で育てた野菜をもらったり、生産者との繋がりは身近にありましたが、その時は意識はしていなかったかな。繋がりについて考え始めたのは東京で暮らし始めてからだと思う。東京には物で溢れていて、何も生活に困らないけど、わくわくしたけどなぜか心は満たされなかった。お金ですべて交換できるというか、すべてがものとして売られている寂しい。そこには心を込めて作った人の存在があるはずなのに。物にしか見えない。特に食べ物は生きることそのものなのに、綺麗に加工されて商品として全て、お金で交換されていく。そういう商品も、それを消費することしかできない自分自身も、全部表面的で浅はかだと思った。だから何かが生産される背景や、根本を知りたいと思ったら、農業が思いついた。そんな時ガッキでちょうど地産地消メニュー販売を目にして参加を決めました。
Ka:農家さんと大学の前から繋がりがあった?
N:農家を職業としている人が身近にいたわけではないけれど、私の地元群馬県では、農業がわりと盛んだったから、農業体験とかもよくしてて、自然に触れ合うのが大好きだった。それが根源かな。
Y:幼稚園のとき遊びに行ってた畑が駐車場になってた。
M:それはショックだね。
Ka:場所もあるでしょうね。地方の都会に住んでて、自然教室とかで魚さばく体験はしたことあるけど、農業とかはやったことなかった。
M:私もよくあんまり分かんないんだけど、考えてみたら周りの環境とか周りの家族とかにすごく影響された。私の住んでたオレゴン州ではgrown locallyがスローガンになってて、人が顔を合わせる。それに惹かれて買うという感じだった。夏や秋にファーマーズマーケットがあって毎週土曜日お母さんと行って野菜とか買ってた。行くのを楽しみにしていた。ばったり友達とあったり....おばあちゃんやおじいちゃんなどが病気になって、それをきっかけに食事を意識し始めて、それから影響受けてた。三女に入ってからパパンやルクが地産地消をやってて自然と周りにあったから結構昔から関心があった。
ロードトリップでカリフォルニア州からオレゴン州行くときに、牛がぎゅうぎゅう詰めになっている広いファームで、本当に気持ち悪くて吐きそうになった。そういうのを見ただけでアメリカの肉食べたくないなって思っちゃう。いろんなドキュメンタリーを見ててアメリカ産の鳥とか絶対食べたくない。
Y:grown locallyはそういう感じじゃない?
M:私が育ったところは小さな町だったけど、オーガニックとか書いただけで売れてるからそれも問題視されているかもだけど、「オーガニック」とかそういうのすごく人は気にする。
Ka:アメリカに旅行行ったとき、スーパーにターキーがぐるぐる回ってて、1日でこれかと思って、全部でどのくらい死んでいるんだろうと思った。
Ku:地産地消だとそういう現状が分かるっていうのがあるよね。
Ha:最初は地産地消という言葉の存在や、この活動がICUにあることも知らなかった。でも同じ寮の先輩が宣伝してて興味があって参加した。最初はなんとなく入った感じだったけど、活動し始めてから自分にとって地産地消ってなんだろうと考え始めた。それを考えるきっかけになったのは、農家の森屋さんになんであなたは地産地消に入っているの?と聞かれたことが大きかった。中国の上海に元々住んでて、上海は国際都市のイメージだけど、実家は都市化されていない田舎にあって地域密着型の場所にあった。そこでは、市場があっては魚、お肉、野菜、米など色んなものが売ってた。スーパーマーケットでは商品が置いてあるだけだが、そこの販売場所では、売っているものに精通した販売者がいて、その人と直接話して判断し、信頼のある人から物を買う。その人とは仲良くなって、大きくなったねなど色々な話をする。そのことで安心感が持てる。農家さんとこのような関係を築けるのも良いなと思い活動に参加した。地産地消や農業に関してあまり詳しく知らないし、野菜を自分で育てたこともないけれど、そういうのを体験して農家さんの苦労とかも知りたいなと思っている。
Hi:スタートは実体験ではなく、知識的思想的な興味だった。遺伝子組み換えとか食の社会問題に関心を持ったのが初めで、その後思想としての地産地消に惹かれていった。例えば、「ご馳走は自分が走って取りに行ける範囲のもの」など。
高校で畜産部に入り、牛や鶏の餌を自分たちで近くの草っ原で草を刈って干したりなどして作っていた。絞った牛乳は朝夕飲むし、ヨーグルトも作ったりした。そのような日々を3年間過ごした。
そのような田舎の豊かな暮らしを経験して、都会に帰省するたびにもっと豊かな暮らしを都会に取り戻したいと思った。山口先生を通して川越さんのことを知り、地産地消に入った。
Y:小さい時から食のことを考えてたの?
Hi:そういうわけではないけど、食べることとか作ることは小さい時から好きだった。食の問題に本当に関心を持ったのは高校生になってから。
終了時間がきて、話し合いがここで一旦終了。これからも新しいメンバーを交えて話していきたいね。
ICU 地産地消 -Make&Consume Local- Project
ICUから地域の方々とつながっていくことはできないだろうか…?ということで、始まったのがこのプロジェクト。地産地消の取り組みを通して、心から豊かな生活を築いていきましょう!!
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