地産地消インタビューvol.8 森屋賢さん 第1部

森屋さんは三鷹の北野で様々な野菜を育てている農家さんです。

農家のお仕事だけでなく、消防団や五輪の活動、小学校への出張授業など、様々な地域活動をパワフルに行っています。

今回は森屋さんに都市農業の現状から農業を始められた背景や原動力まで、幅広くお話を伺いました。

『季節の野菜を作っています』

――どんなお野菜を育てていますか?


森屋さん:路地とビニールハウスで、基本的には季節のお野菜を30〜40種類くらい作っています。去年からパッションフルーツを始め、今年からイチジクを始めました。

春は夏野菜の苗、春大根、きゅうり、茎ブロッコリー、新玉ねぎなど、夏はトマト、ミニトマト、ナス、枝豆、とうもろこし、ピーマン、きゅうり、じゃがいもなど、秋は大根、人参、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、白菜、小松菜、ホウレン草など、冬は小松菜、ホウレン草などの葉物を作っています。冬には夏野菜の種まきをして管理を始めます。


――本当に様々なお野菜を作られるのですね。それにしても夏野菜はいろんな時期にお世話が必要なのですね。


森屋さん:1月に種まきをして育った苗を5月に植えて、あとは管理する。夏野菜は支柱を立てるなど管理してあげないと長く収穫できないので、手がかかる野菜です。


『「江戸東京野菜」はブランド』

――なるほど。森屋さんはここ最近、新たにのらぼう菜などの「江戸東京野菜」を作り始めたという話を聞きました。「江戸東京野菜」は東京で代々作られているものというイメージだったので、新たに作り始めたというのは意外でした。「江戸東京野菜」の立ち位置についてお聞きしても良いですか?


森屋さん:「江戸東京野菜」はブランドだね。実は江戸東京野菜という概念はここ最近のもので、10年も経っていないんだよ。

新宿伊勢丹の野菜売り場には、いろんな地域の野菜が売られてるんだけど、昔は東京の野菜は江戸東京野菜の内藤唐辛子しかなかった。「東京で野菜作っているんですけど、売れますか?」とバイヤーさんに尋ねると、「東京で野菜を作っているだけじゃねぇ」と言われた。やっぱりブランド力が大事なんだと思ったよ。

ただ東京で作っていると言うだけでは売れない。そういう背景で元々東京にある野菜をブランドにしようと動きになったんだと思うよ。もちろん、昔から東京にある野菜を残していこうという想いが一番の根本にあると思うけどね。ただ、物によっては、希少価値を高めるために、特定の農家、特定の売り場でしか作ったり売ったりしてはいけないものもあって、どうなのかなと思う面もあるよ。


――なるほど。確かに三鷹に住む一大学生としては、高いブランド物よりは、当たり前に手に取る三鷹野菜の選択肢が増える方が嬉しいです。普段食べる野菜が地域で取れていて、それが安価で普段食べていける世界が理想です。ただ、農家さんがそれだと食べていけないとなるとそれも良くないですよね。「ブランド」については考えていきたいです。


森屋さん:稀少だから名前が売れるのか。いろんなところで扱っているから名前が売れるのか。ブランドについて考えるのは難しいね。まあ最終的にはバランスだと思うけどね。

僕が江戸東京野菜ののらぼう菜を始めたのは、単純に端境期に取れる野菜だし、美味しいから。それに江戸時代に飢饉があった時、食料として広まったくらい強いんだ。


――のらぼう菜は柔らかくて個人的に大好きです。のらぼう菜のようにあまり高くなくていろんなところで売られている江戸東京野菜もありますよね。


『継ぐと決めたのは、好きなことをやらせてくれた親への恩返し』

――なぜ農業をやられているのですか?


森屋さん:うちは先祖代々受け継いでいる畑なんだけど、子供のうちは全然興味がなくて畑にも出ていなかった。大学も体育大学だし、オーストラリアにも行かせてもらったけど、スポーツを勉強してたし、自分の興味のあることを家のことも考えずに色々とやらせてもらっていた。でもふとした時に、これまで色々とやりたいことをやらせてもらったから、ここから先は、親が望んだことをやるのもいいのかなと。兄弟の誰かが農家を継がないといけないから、長男だし、普通に考えれば継ぐのは自分だなと思った。でも父親には告げって言われたことは一度もないんだけどね。母親や親戚に言われても、父親から言われたことはない。


――中には、兄弟のうち誰も継がずに閉園するお家もあるのですか?


森屋さん:いっぱいあると思うよ。今畑もどんどん減ってきているし、継ぐ人がいなくて。あと、高齢化も進んでいるしね。


――自分が継ぐと決めた時は、自分の家の畑が途絶えてしまうのは嫌だという気持ちもあったのですか?


森屋さん:その時はそこまで考えてなかった。聞こえがいいかもしれないけど、親孝行というか。本当に好きなことやらしてもらっていたから。農家の家なのにスポーツの勉強させてもらっていたし、「この人、いったい何がやりたい人なんだろう」って思っちゃうでしょ?(笑)


『地域密着はオーストラリアで出会った概念』

――スポーツの勉強をしにオーストラリアにいった時はスポーツ選手になろうとしていたのですか?


森屋さん:ううん、あの時は地域に密着したスポーツクラブが日本でも取り入れられていることを勉強していて、それが一番進んでいたのがオーストラリアだったんだよね。


――地域に密着したスポーツクラブとはどういうものですか?


森屋さん:例えば三鷹の中に一つのスポーツクラブがあって、プロになった人も近所の子供達もそのスポーツクラブに所属していて、一緒に練習をする。プロになった人は子供達にとってヒーローになるし、プロの選手もその地域に育てられたということで、恩返しとして子供達に指導したり、地域を盛り上げたりしている。実際三鷹でも元プロのキックボクサーで日本チャチャンピオンだった人が、地域に密着したスポーツクラブを始めようとしていて、彼には期待しているんだ(笑) 


――なるほど。地域密着はオーストラリアで出会った概念なのですね。その時の経験が今の森屋さんの生き方に繋がってるのかなと思いました。地域密着型なスポーツとの出会いが、農業、消防団、オリンピックの活動などいろんな地域密着型の様々な活動に繋がっているのかなと。


森屋さん:そうなのかな。確かに全部やってきたことは何かしら繋がっている。40歳過ぎて色々と繋がってきた。今は農業が土台だけれども、その前はスポーツや障害者の水泳指導もやらせてもらっていたから、大きく言えば「農業」「スポーツ」「福祉」に携わってきた。スポーツに関しては地域のつながりを生かしてオリンピックを盛り上げる活動に関わらせてもらっている。福祉に関しても農福連携を三鷹で進めて行こうと思っている。

もっともっとこれから繋がっていくんだろうね。自分が見てきたこととか感じたことを伝えることによって何か刺激を受ける人もいる。自分が大学生の頃からいろんな人に支えてもらって、色々な経験をさせてもらって今の自分がいる。だからどこかで恩返ししないといけない。


第2部に続きます。

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